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2011年12月14日

人生初の救急車

乳ガンの告知をされても、これと言ってショックもなく受け入れたのですが
その背景には、くも膜下出血で手術をした経緯があったのです。
くも膜下出血については、H24・4月になってから回顧録で書いてます。

H23・12・14
午前の講座を終え、スクールの管理人から生徒の休みの理由を聞いた。
被災地の仮設住宅に住んでる甥御さんがくも膜下出血で倒れたので
福島へ出掛け、いつ帰れるか分からないとのこと
一命を取り留めて比較的元気だけど、身の回りの世話をする人がいないので
しばらくは福島にいるとか

くも膜下出血なんて、そんな怖い病気で気の毒に、でも命が無事で何より
管理人とそんな話しをしてスクールを後にし、一度会社にもどった。
午後7時45分頃に帰宅し、寒い家の中でストーブを付けて身体を暖めていたら
程なく夫も帰宅・・・・・・

夫は着替えるとすぐにお腹がすいたと連呼を始め、ご飯を早く早くと促すので
まだ足を暖めてから動きたかったのだけど・・・・仕方がない

夫からのリクエストはキャベツの千切り、兎に角野菜が食べたいでした。
台所でキャベツを大型ピーラーでスライスし
大根をスライサーで息を止めてながら一気にスライスしました。
(状況を人に良く聞かれるので説明しやすくするのに大根おろしと言っている)
作業が終わってふぅ~っと一息ついたら
胸がムカムカと気持ち悪くなってきて、あれ? なんで?
周りを見ると視線が安定しなく・・・これって目眩?

ああ 気持ち悪~い こんなんじゃご飯は作れない

フラフラと歩いて、ソファの下に横になり
夫に「気持ち悪くて もうご飯作らないわ 目眩もするし」

「具合悪いのか?何でよ?飯は?」

気持ちが悪いので返事もせずに目をつぶったままでいると
「大丈夫か?」 夫のその言葉にも返事をするのが億劫で
このまましばらく眠りたいと思いました。

その様子がいつもとは違うと感じた夫が「救急車を呼ぶか?」と聞いてきたので
それには「こんなんで呼ばなくて良いよ」と答えたのでした。

それから自分的には目をつぶって気持ちよく寝てしまったと思ったのですが
何度も名前を呼ばれたりしても返事もなく、白目も出ていたとか

眠くて・・・と言うか耳が塞がれたような感じで
夫が電話で救急車を頼んでる話し声が遠くで聞こえて・・・


顔の上にドンっと衝撃があり
あっ 杏樹だ
ワンコの杏樹が私の顔の上に乗ったので、目が覚めました。
その後に救急隊の人が名前とか生年月日を聞いてきたので
一生懸命答えた・・・つもりだったけど、伝わったのか伝わらなかったのか
遠くで夫がそれを答えてるのが聞こえてきました。


次に気が付いたのは、たぶん救急車の中で、車の揺れが気持ち悪くてしょうがなかった
早く病院に着いて 気持ち悪い 車を止めて そんな思いでいました。
でも後から夫に聞くと、救急車の中でも私は意識がなかったと

夫は救急車の中で、もうお葬式を出さなくてはならない・・・と考えてたそうで
そして私の母にも携帯でいま病院に向かってる最中だと連絡したとか

次に気が付いたのは、たぶんCTかMRIの検査台に乗せられたあたりで
胸がムカムカして「吐きそう」と言って吐いてしまった時。

気が付いたと言っても、何れの時も目は開かなかったので周りの状況は分かってなく
すぐにまた意識がなくなってしまってました。

この日の後の事はまったく記憶がありません。

夫の話では、長男と三男が病院に駆けつけてくれ
春に十勝へ就職した次男にも知らせてくれたとの事
様態が安定したので夫たちは0時には帰されたそうです。


病名は脳動脈瘤破裂による くも膜下出血 でした。


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Posted by 瑠璃 at 23:59 │くも膜下出血

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