さぽろぐ

日記・一般  |その他北海道

ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2011年12月26日

二人部屋へ


ひとりも快適だと思っていたのに、今度は二人部屋へ引っ越しとなりました。

角部屋で、窓も大きく・・・ホテルならスイートかな

ここでも一晩は一人きり
4人部屋よりも部屋が小さいので暖房がよく効いて暖かい

窓の外はもの凄い吹雪 と言うか毎日雪が降り続いてるらしい
外飼いのワンコと家の中に一匹で留守番してるワンコは大丈夫だろうか
特に家の中のワンコは春に保健所から貰ってきた小さなワンコ
夜の遅い時間まで火の気のない家の中で留守番をさせてるので心配です。
一度捨てられているワンコだから、早く帰ってあげたい。

毎日仕事帰りに寄ってくれる夫に「ワンコ達どうしてる?」って聞くけど
夫だって出掛けてるのだから、分かるわけがない。

夫が顔を見せるなり「ワンコ達が心配だから早く帰って」と言っていた(笑)

痛み止めを飲んでるせいか、頭の痛さはそれほど酷くはないけれど
首の付け根から上は、重いヘルメットを被ってるような感覚だった。
寝てるときも、やはり頭を下げるとずっしり沈むように重く感じ
どうしても電動ベットの上を上げずにはいられないと感じてました。

手はしっかり箸も握れる 歩くことも出来る
記憶もそれほど忘れてるところは無いと思う

元の生活に戻れる 戻りたい 戻る 絶対戻る。




にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村  


Posted by 瑠璃 at 23:59Comments(0)くも膜下出血

2011年12月25日

クリスマス

リハビリのお陰なのか、頭の傷が癒えてきたからなのか
自力歩行が確実になってきた。

病室の人との会話もそれほど億劫ではなくなり
お互いにこの病院に運ばれた経緯などを話したり
リハビリの内容を話したりしてました。

親しくなったのもつかの間
クリスマスにはプレゼントがあったようで
同室の人たち3人が揃って退院してしまい
病室には私一人だけになってしまいました。

特別 寂しい・・・・とも思わず

寂しさを感じられるほども、思考が回っていなかったのかも

にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村  


Posted by 瑠璃 at 23:59Comments(0)くも膜下出血

2011年12月22日

髪が抜ける

髪が血液と消毒液でバリバリになっていたので、看護師さんが洗面所で洗ってくれました。

しばらく洗ってないから髪は沢山抜けるよ と教えて貰ってましたが
その抜け方 尋常ではありませんでした。 怖いほどです。
排水溝の入り口に ごっそり溜まってました。

頭皮をはがされて 毛根が死んじゃったのかも

タオルドライして貰ってるときも、バサバサ抜けてきて
抗ガン剤使ったのかも?

(この時から胸のしこりには気が付いていたので、この病院で発見されたのかもと考えたり)




翌日に頭を縫い合わせてるホッチキス?の針を取って貰う事になりました。

先生に それ痛いですか?  と聞いたら

「うん 痛いですよ」 ときっぱり  えーっイヤだなぁと思っていたら
「麻酔する方が痛いし それにすぐ済むから」と言いながら
頭に刺さってる針をガンガン抜いて ・・・・いきやがりましたよ。 (笑)

いきなり抜かれて ヒィーと思ってる間に終わっちゃいました (T△T)


食堂には3食とも自分で歩いて行けるようになり
窓から外の景色を見ると、雪がずんずん降り続いてました。

食堂に集まる患者さん
目がうつろで、口も開いたままのおじさん
私と同じように頭にガーゼを貼った男性
ご飯を口に運んで貰ってやっと食べてるひと

脳外専門の病院なので、脳梗塞・脳出血・くも膜下の人ばかりなんだ
そして私もその1人 この人達と同じなんだと思うと 少し怖くなりました。


にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
にほんブログ村  


Posted by 瑠璃 at 23:59Comments(0)くも膜下出血

2011年12月20日

4人部屋へ

昨日 あんなに悲観していたのに
なんとICUを出られることになり、4人部屋に移れることになった。

頭を自力で持ち上げると頭痛がするので
同室の人たちの顔は分からなかったけど
大部屋に来たと言うことは、それなりに回復してきてると言うことだ
これは案外本当に後遺症がなく復帰出来るのかも・・・
などとまた淡い期待を持ち始めたのでした。

ICUを出られて嬉しかった理由がもう一つ
ICUに男性が一人入ってきていたのでした。
看護師さんの会話から想像するに、中年・体格がかなり大きい風
イビキが酷くて、一晩で床ずれが出来たので意識がない人だと思っていたら
頻繁なナースコールで痛みを訴えていたので・・・・・ちょっと五月蠅い大変そうでした。
きっと私とは痛みの基準が違うんだわ 
4人部屋に引っ越すことが出来て、また静かな入院生活に戻れました(笑)

そしてベットのリモコンを使って
上半身を少し長い時間で起こしていられるようになり
スプーンからお箸を使って食べ物を掴めるようになりました。

リハビリを開始することにもなりました。
車椅子にソロリと移り、リハビリ室へ
まず立ち上がることから始め、厚みのあるマットに20秒ほどたっている事
身体がフラフラ揺れてしまい、また目眩がしてるような気持ちになりました。
少し休んでから、両側のバーを使いながら歩行訓練をしました。

歩ける 歩ける 歩ける
自分で立ち上がって 歩けた!

これなら 本当にお正月は家に帰れるかも!

午後から東京の長兄夫婦が来てくれました。

私が上半身を起こしていたのを見て、ホッとしてくれたようです。
「これで倒れたら即死する人もいるのに、本当に運が良かった」と

長兄が来てくれて嬉しかった事と、安心させてあげられて良かったと思ったけど
長兄の体型があまりにも丸くなっていて逆に長兄の事が心配になりました(笑)



  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月19日

お礼を言いたくて・・・


頭が痛い 顎が痛くて開けられない

手が元通りに動けたとしても この頭痛はなくなるのだろうか
術後に目が覚めたときよりは、落ち着いた痛みにはなってるけど
うつむくことが出来ない もしかすると、ずっとこのままかも知れない。

この病気で沢山の人が命を落として、後遺症に苦しんでいるのに
自分だけが何事もなく復帰出来るとは到底思えない。

やっぱり彫刻など出来るはずがない・・・・・


まだこの先の事は分からないけれど、頭がちゃんと思考してるうちに
恩師に今までのお礼を伝えておかなくては と思った。

恩師にはなんど感謝の言葉を綴っても足りないけれど
いま伝えられる手段は携帯メールだけで
短いお礼をかなりの時間をかけて打ちました。

打ち終わったら、何だか気持ちがすっきり
これでどう転がっても前に進んで行けそうな気持ちになりました。

先生ありがとう 
でも何事もなく仕事ブログを再開したら笑って下さい。 と

  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月18日

何処まで回復出来るのか

携帯のキーを押せる事が分かったので
夜中に(たぶん)ネットに繋いでくも膜下出血について調べて見ました。
どこの説明も非常に暗い結果になるものばかり。
3人に一人が亡くなって、一人は重い後遺症が残り、残り一人が社会復帰出来る
それでも復帰するまでに長いリハビリが必要とのこと。
(ICUに居ましたが、一人だったもので ←モシモシ)

そう言えば、小室ファミリーのケイコさんが少し前にこれで倒れたはず
あの人は今どうなったのだろうか 後遺症は?
携帯で検索してみたけれど、手術した後の記事は探せず。


先生が「お正月は家に帰りますすか?帰りたいよね」と言ってくれました。
お正月? その頃に家に帰れるの?
まだベットから降りるどころか、歩けもしないのに?
それは一時帰宅のことだろうか・・・

左腕を見ると大きな青アザがあった
他にも小さなアザがいくつか きっと点滴が入らなかったのだろ
アザに触ると痛かった 痛いと言うことは感覚はあるんだ
それを確認するのに手がちゃんと動く それが嬉しいと思った。
もしかしたら、手だけは元通りに動かせるようになるかも知れない。

手が動くなら、この際ちゃんと歩けなくても 仕方がないか・・・

看護師さんが清拭をしてくれる
紙おむつを剥がして、裾まで丁寧に・・・・
私ってここまで人にして貰うほど動けない。


2月に頼まれていた公民館講座を生徒に代役を頼むメール出し
公民館にはその旨を伝えるメールを打ってみた。

なんとか通じるメールは打てる!  が

ネットで調べた病気の説明では48時間以内に次の発作とか
術後に血管が狭窄する恐れや水頭症の事が記されていたけど
もう自分ではどうすることも出来ないので、なるようになるしかないと思った。



携帯からの検索では、何事もなく回復した話しなど、どこにもありませんでした。
  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月17日

記憶はある

ご飯の時のおかゆをスプーンで食べようとしたとき
もの凄い激痛が右あごに走った。

なにー?この酷い痛みは?
口にスプーンも入れられないほどで、口が開けられない。

額に貼られているガーゼをそっと指で追って行くと
前髪の感触がある、だけど髪の毛がカチカチに固まっていて
それは右耳の付け根まで続いていた。
左側にはガーゼはなく、指でたどると針金のような感触が認められた。
これは・・・・ホッチキスの針?
糸で縫われたんじゃなくて、針で止めてあるんだ
夢の中でチクチクしてたのは、これを刺されてるときだったのかも知れない。

頭も痛いけど、身体も痛い 鉛のように重くて身体が動かせない

こんなんで 歩けるようになれるのだろうか?


たぶん 午後からだと思うけど
次兄(社長)と義姉がきてくれました。

次兄が私の顔を見るなり 「会社のネットバンキングのIDとパスワード言えるか?」

えっ・・・・ (ここは普通大丈夫かって聞きませんか?)

「分からないのか?」

言えるよ・・・メモして ←ちょっとフテ気味な私

3種類の認証番号をスラスラ伝えてる私に対して
メモを取る次兄の方が書き間違えて、何度も繰り返してたので

あんたが寝てたら良いんじゃないの と言ってしまいました。(笑)

口座の引き落としの金額や支払いの予定まで、しっかりと伝える事が出来たので
どうやら記憶の方はなんとかなってると感じました。

腕の曲げ伸ばしも、たどたどしいけど出来る
指は力強くぎゅっと力は入らないけれど、物を掴む事ぐらいは出来る
携帯のキーもゆっくりだけど押せると思う

下半身の方は、足首を左右に振る事も出来る
ただ歩けるのかどうかはまだ分からない


札幌のスクールを休講にしたけど、この後はどうしようか
年明けの別の講座もどうしようか
とりあえずブログで入院した事を書いておこう
そうすれば私と連絡が取れないことを察することができるであろう

同じブログサイトを使ってる生徒さんに携帯からメールして
入院して治療中であることを書いて貰う事にした。
そして私自身が更新できない事を察して貰うために、代理更新と書いて貰った。

きっとそのブログを見た親しい友人が心配するといけないので
友人にも大丈夫である事を伝えるメールを送った。

ちょっとくも真っ赤やっちゃって・・・・でも元気です と

後から送信メールを見たら 誤字のままでした(笑)

メールは打てる やっぱり頭はなんとか無事だと思う ←ICUにいるのに  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月16日

もう元には戻れない

まだ薄暗い内 目が覚めたのは、やはり頭痛ででした。

かき混ぜられたような頭痛から少しだけ落ち着いた痛みでしたが
頭を動かすとまだ酷い痛みでした。

ようやく自分の状況が正確に把握できたのもこの時でした。

今日は何日? 看護師さんに聞くと 16日だとのこと

・・・・・16日? 明日は札幌で講座がある! 行かなくっちゃ!
そう思ったけど この状況では絶対行けない

私の携帯・・・連絡しなくっちゃ

しばらくして、夫と母が来てくれ 私の携帯も持っていたので
札幌のスクールに連絡してと頼みました。
それから病気の事、手術の事を聞いて、今のベットにいる状況と一致して納得
そしてこれから2週間の間は油断できないとも

母から東京の長兄が飛行機の手配してすぐにでも来ると聞いた

兄が来るって・・・わざわざ?
私ってそんなに悪いの? もしかして 死んじゃうのかも?

夫と母はとりあえず手術が成功して命が助かって良かったと話していましたが
私が考えるのはこれからの事ばかり
もう手仕事の講師も作品作りも出来ない
私は もう終わった のかも知れない
もうあの世界には戻れない・・・・
これから先 どうしよう
子育てが終わって、これからの人生はこの手仕事にかけると全力で頑張っていたのに・・

手術をしてくれた先生が回診に来てくれ
「何か心配な事はありますか?」と聞かれ
私はただ一言 社会復帰と答えました。
手と足を動かしてみてと言われて、動かしてみたら 動いた!

動いたけど、この程度では元通りに動けるのかは分からない
細かい仕事が私の全てなのに。

先生はまだ手術したばかりだから、焦らずにリハビリしていけば
元の生活に戻れるとは言ってくれたけど、自分では分からない。

頭が痛い 頭に血が集まるような感じで頭が痛い
電動ベットのリモコンを自分で使えたので
頭を少しだけ高くしたら、少しラクになったようなきがした。  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月15日

手術日

夫に頭を手術すると言われたのが、夢だったのか 何時だったのか
言われたような気がするような そうでないような
ハッキリしないまま ベットから運ばれるのは分かったような・・・

寝てるところを起こされるように、額がチクチクと痛い事に気が付いて
ああ手術されて頭を縫われてるんだ・・・と思った。


本当に目覚めたのは、ひどい頭痛で目が覚めました。(視覚も)
手の先や腕が管で繋がれて、胸のあたりからコードが出ていたりと
自分でその感覚も確認できました。

誰かが「もう大丈夫」とか言っていたけど、私には何が大丈夫なのかが分からなく
とにかく 頭が痛い 頭が痛い 助けて 何があったの?
そう思ってても 頭がガランガランとかき混ぜられたように痛くて
しゃべる事も出来ないくらい とにかく痛かった。

夫と母の顔が見えた事だけは 覚えてます。

何時頃なのか 時間の感覚もよく分からなく
頭の痛さに我慢が出来なくて、自分でナースコールを押して頭痛を訴えると
もうこれ以上の痛み止めは使えないと言われ、座薬を使って貰いました。

夜中に身体の下に添えてあったクッションの位置を変えて貰ったのが気持ちよかった

私自身 後の記憶はありません。


夫の話では
11時から手術が開始され、3時間ほどで終了する予定だったとのこと
結果的に終わったのは夕方の5時頃だったそうです。

開頭して破裂した脳動脈瘤をクリップで止める内容でしたが
画像で確認した破裂した患部が見つけられなく、かなり探しまくったようです。
脳の中をかき分けたら、ピクピクしてるところを見つけたとか
脳の中に入り込んでいたので、脳を切ってクリッピングしたとの話でした。


  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血

2011年12月14日

人生初の救急車

乳ガンの告知をされても、これと言ってショックもなく受け入れたのですが
その背景には、くも膜下出血で手術をした経緯があったのです。
くも膜下出血については、H24・4月になってから回顧録で書いてます。

H23・12・14
午前の講座を終え、スクールの管理人から生徒の休みの理由を聞いた。
被災地の仮設住宅に住んでる甥御さんがくも膜下出血で倒れたので
福島へ出掛け、いつ帰れるか分からないとのこと
一命を取り留めて比較的元気だけど、身の回りの世話をする人がいないので
しばらくは福島にいるとか

くも膜下出血なんて、そんな怖い病気で気の毒に、でも命が無事で何より
管理人とそんな話しをしてスクールを後にし、一度会社にもどった。
午後7時45分頃に帰宅し、寒い家の中でストーブを付けて身体を暖めていたら
程なく夫も帰宅・・・・・・

夫は着替えるとすぐにお腹がすいたと連呼を始め、ご飯を早く早くと促すので
まだ足を暖めてから動きたかったのだけど・・・・仕方がない

夫からのリクエストはキャベツの千切り、兎に角野菜が食べたいでした。
台所でキャベツを大型ピーラーでスライスし
大根をスライサーで息を止めてながら一気にスライスしました。
(状況を人に良く聞かれるので説明しやすくするのに大根おろしと言っている)
作業が終わってふぅ~っと一息ついたら
胸がムカムカと気持ち悪くなってきて、あれ? なんで?
周りを見ると視線が安定しなく・・・これって目眩?

ああ 気持ち悪~い こんなんじゃご飯は作れない

フラフラと歩いて、ソファの下に横になり
夫に「気持ち悪くて もうご飯作らないわ 目眩もするし」

「具合悪いのか?何でよ?飯は?」

気持ちが悪いので返事もせずに目をつぶったままでいると
「大丈夫か?」 夫のその言葉にも返事をするのが億劫で
このまましばらく眠りたいと思いました。

その様子がいつもとは違うと感じた夫が「救急車を呼ぶか?」と聞いてきたので
それには「こんなんで呼ばなくて良いよ」と答えたのでした。

それから自分的には目をつぶって気持ちよく寝てしまったと思ったのですが
何度も名前を呼ばれたりしても返事もなく、白目も出ていたとか

眠くて・・・と言うか耳が塞がれたような感じで
夫が電話で救急車を頼んでる話し声が遠くで聞こえて・・・


顔の上にドンっと衝撃があり
あっ 杏樹だ
ワンコの杏樹が私の顔の上に乗ったので、目が覚めました。
その後に救急隊の人が名前とか生年月日を聞いてきたので
一生懸命答えた・・・つもりだったけど、伝わったのか伝わらなかったのか
遠くで夫がそれを答えてるのが聞こえてきました。


次に気が付いたのは、たぶん救急車の中で、車の揺れが気持ち悪くてしょうがなかった
早く病院に着いて 気持ち悪い 車を止めて そんな思いでいました。
でも後から夫に聞くと、救急車の中でも私は意識がなかったと

夫は救急車の中で、もうお葬式を出さなくてはならない・・・と考えてたそうで
そして私の母にも携帯でいま病院に向かってる最中だと連絡したとか

次に気が付いたのは、たぶんCTかMRIの検査台に乗せられたあたりで
胸がムカムカして「吐きそう」と言って吐いてしまった時。

気が付いたと言っても、何れの時も目は開かなかったので周りの状況は分かってなく
すぐにまた意識がなくなってしまってました。

この日の後の事はまったく記憶がありません。

夫の話では、長男と三男が病院に駆けつけてくれ
春に十勝へ就職した次男にも知らせてくれたとの事
様態が安定したので夫たちは0時には帰されたそうです。


病名は脳動脈瘤破裂による くも膜下出血 でした。
  


Posted by 瑠璃 at 23:59くも膜下出血